『中江兆民全集 別巻』

中江兆民全集〈別巻〉

中江兆民全集〈別巻〉

玄洋社の150人中国遠征の真相を探るべく、おそらく「頭梁七人」のうちの一人、中江兆民の動向を探ってみた。
手っ取り早く、全集の年譜を見たので、厳密には史料とはいえないのですが、これでいいかな、と思うので書いてみます。

1882(明治15)年12月11日、彼は熊本に到着し滞在、「相愛社・紫溟会・実学党の人々と会う」とあり、また24日には彼の一行の懇親会が開かれている。おそらく、『玄洋社社史』で記述されていたのは、この熊本滞在の間のことだろうと思われる。歳が明けてから、八代・人吉を回ったあと、1月10日に鹿児島を発して八代・人吉・鹿児島へ向かった後、4月中旬に帰郷するまでの彼の行動が記されていないので、一応は、彼がこの期間に清へ行ったとも主張できるのは確か。

旅券発行数というのも考慮に入れて調べたいと思います。